宿題も様変わり・・・。
21.11.03

ウチの小学校では

1人に1台のPCを貸し出してオンラインの課題があるようです。

 

息子も学校から端末を持って帰って来て、

この祝日はテンションが爆上がりしていたようです。

 

普段は最低でも3回は叱られてから

取り掛かる宿題も自ら率先して目標を設定して取り組んでおりますw

普段からタブレット端末や某任天堂のゲーム端末で慣れてるとは言え、

自分が占有できるPCと言うのはまた違った感覚なんでしょうか?

 

そう言えば自分も小3の時に

ジッチャンに強請り倒してPC買って貰ってたっけ。

 

中年の皆さんは覚えておいででしょうか?

かつて「MSX」という企画のPCシリーズがあった事を。

 

昭和58年当時はPCのOSは各メーカーでバラバラだったんですね。

 

それの企画を合わせて各メーカーで共用できるソフトを増やそう、

という動きがあったそうです。

 

当時愛読していた、

某コ●コ●コミックでそのあたりの話題が特集されておりまして、

当時好きだった「ゲーム●ンター嵐」のキャラクターが

ゲームが簡単に作れるよ!と当時の少年たちを唆しておりました。

 

純朴な庄太郎少年は簡単に自作ゲームを作れる!と思い込んで、

子供向けのプログラム本を片手にインベーダーの製作に挑戦ました。

 

当時はベーシックというプログラム言語だったのですが、

家中の誰に聞いても教えてはくれないので1日半べそをかきながら

ナショナル製の「MSX」と戦っておりました。

 

何十行もの訳の分からない英数字と記号を打ち込んで、

いざゲームを起動すべく実行キーを押したのですが、

案の定ドコかが間違っていたのでゲームは起動しませんでしたorz

 

何分間か忘れましたがケッコウな時間を放心して、

それ以降はゲームは作る物じゃなく買う物だ、

と割り切ったのを覚えてます。

 

あのプログラミングが成功していたら、

未来は変わっていたのでしょうか?w

 

「MSX」企画は「MSX2」から「MSX2+」になって、

それ以降は消えていったと思います。

 

最後の方はゲーム専用機みたいなってた気がします。

ファミコンよりは遥かに画面が綺麗だったし。

ゲーム機も爆発的な進化をして優位性がなくなったんでしょうか?

急速に廃れていった記憶があります。

 

でも、規制の緩いPCだからムフフなゲームを出来たような・・・。

まぁ思春期でしたから。

 

つか、昭和50年代当時のPCってカセットテープにソフト入ってましたね。

ああ、懐かしい。

 

牛一筋

黒毛和牛専門店 笠庄
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京都・奈良観光へお越しの際は是非

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